フィリピン 留学を観察したら
ニューヨークで見つけた!成田空港ではずっと手をつないでいた。
本当に何年ぶりかで、こんな人中で手をつないだ。
2人とも涙ぐみながら、手をしっかり握って歩いていた。
下に降り、別れのときが来た。
最後は痛いほど強く手を握りあった。
「泣いてるとおかしいから」とH高は言ったが、目の端が光っていた。
姿が見えなくなるまで、ずっと見ていた。
彼はときどき振り返りながら、カウンターの陰に消えていった。
階段の下の公衆電話をかけた。
人目がないので、しばらく泣いていた。
「思い出をありがとう」と留守番電話に吹き込んだ。
2人のこれからのことは、神の大きな手にゆだねたのだ、と思った。
あんなに好きだったのに、いつの間にか夫婦ではなくなっていた私たち。
正直言って、私にはまだ信じられない。
2人のあの家に、2度と帰ることがないこと。
私が彼に会えるのを心待ちにして、あと3分、あと2分と、時計を秒読みしながら歩いていた日々が、完全に過去のものになってしまったことなどプロローグ(1996年4月25日A10便の機中にて)日記を人前にさらすなど、あまりに恥ずかしくて、本来できるものではない。
しかし、ニューヨークヘ旅立ったときの私の気持ちをこれがいちばん率直に物語っているので、あえて書き記すことにした。
「これが本当の成田離婚だ!」なんて、冗談を言って笑えるようになったのはだいぶたってからのこと。
〈いつまでも泣いている。デザートを食べながら。そしていま『007』を見たあとで、これを書きながら〉「キャスターだったんだから」と、生意気にファーストクラスなんか取って、嫌いなたばこの臭いを避けるため「いちばん喫煙席から遠い席」に替えてもらって、バイオリンのケースだけを小脇に抱えて、本当はすごくご機嫌な空の旅になってもおかしくないのに、私はアメリカ行きの機内で、こんなにぶざまに、ポロポロ泣いていたのだ。
8年間続いた結婚生活と、7年間続いた「6時のニュース」をやめて、初めての外国生活を始めるというのは、なんといってもきびしかった。
勢いで決めてしまったような留学だったから、どんな成果が実際得られるのかもまったく闇の中であった。
仕事も家庭も捨てて留学なんてすごい、とか、よく思いきってすべてを断ち切って行った、な結婚したのは二7歳のとき。
一緒に番組を作っていたディレクターとフィーリングが合って、知り合って半年で結婚した。
子どもは作らず、それぞれに自分のしたいように仕事をし、ほとんどけんかもしないで暮らしてきた。
お互いにテレビの世界に携わる人間として、個々のペースを尊重し、自由に生きてきたつもりだった。
しかし、あとで話し合ってわかったところでは、夫の方はもっと「普通の」家庭をもちたいと、数年前から強く考えるようになっていたらしかった。
この世界は、出演者や番組を変更する場合、契約期間終了の2か月前までには、どちらかが「次はやめる」などの意思を通告しなければならない。
そのような不文律によって、私は1月の終わりに、その年の4月改編に伴う「人事異動」の話をもち出された。
フリーであるからには、いつかはこういう日が来ることはわかっていた。
家に帰って夫に(確か彼はその日は泊まりで、翌日の夜中過ぎになったが)、「4月には替わるよ」と、ベッドの中で告げた。
一皮まくった真実は、捨てた、というよりはむしろ「こうせざるを得なかった」いや、もっと素直に言ってしまえば、今までの生活を変えざるを得ない状況に陥ってしまったのである。
それまで私は6年間、Nという全国ネットの夕方のニュース番組のキャスターを務めた。
その前1年間、関東ローカルのニュースに出ていたのを含めると、7年にわたり、Tの夕方の「顔」として働いていたことになる。
大学を卒業して社会に出てから12年間、フリーのキャスターとしてずっと、なんらかのレギュラー番組に出て、それなりに順調に仕事をしてきた。
「留学」の話を先にしたのが夫婦のどちらだったか、はっきり覚えていない。
いずれ、どこか海外で勉強してみたいという気持ちは、私には以前から漠然とあった。
とにかく夫は、私が外国に行くことに大賛成だった。
ディレクターとして、私のキャスターとしての将来性を思ってのことだったのか、それとも、私とすんなり離れるためにそれが最良であるというプライベートな動機によるものだったのか、それはよくわからない。
一方、私には新年度からの什事の話もまったくないわけではなかった。
マネジメントをやってくれている事務所にしても、私が急に一切の仕事を休んでしまうのは、何かと不都合があったはずである。
テレビから一定期間「消えてしまう」ことへの不安もある。
しかし、中途半端に残って、昔の印象も日々薄れていくとしたら、長期的にはマイナス。
むしろ、ちょっと怖いけれど思いきって日本を離れよう。
結果はわからないが、新しい自分を作る手がかりを見つけてこよう。
今まで仕事が継続していたためにできなかったことを始めるための、これはチャンスなのだ。
夫は「じゃあ、ぼくたちの関係も新しくしようか」と言った。
その意味が、私は初めはっきり飲み込めず、あいまいな返事をした。
どこまで「新しい」のか。
最大が「離婚」。
もっとも穏便なのが、「少し離れて暮らしてみること」。
彼の真意がどのへんにあるのか、私にはとっさに測りかねた。
「いずれにせよ、私の生活はもうすぐ激変する」これが、寝付かれぬその晩に得た唯一の明確な結論だった。
3日くらいは迷ったが、突然、これまで本気で考えたことすらなかった「留学生活」の夢が胸にあった。
しかしこんなに急に、自分の都合だけで「決めた」と言っても、それだけで「留学」が実現するはずはない。
受け入れてくれる大学か研究所などがなかったら、私はただの観光客になってしまう。
漠然と「いつか留学を」という夢はあった。
しかし、実は何の準備もしていなかったのである。
留学に必要な英語力の基準となるTOEFLさえ、まだ一度も受験したことがなかった。
しかも、ときすでに2月。
たいていの大学院の願書受付は1月末に締め切られている。
私の側の事情としては、あまり長く日本を離れるわけにはいかない。
テレビに出る仕事に将来復帰する気があるのなら、長くても2年が限度という気がしていた。
テレビ界のサイクルは短い。
少しでも画面に出ていないと、すぐに忘れ去られる非情な世の中である。
まったく別の仕事を始めようというところまで肝が座っているわけでもなかったので、まずTOEFLの点数をあげて、いっぱいに広がった。
そのとき35歳。
まだまだ新しいことができる!なんて幸せなんだろう……そう思える時間が増えてきた。
そして、「行くならニューヨーク」というひらめきのようなものも、いざ留学の機会到来となって、はっきり見えてきた。
ニューヨークにはそれまで3回、仕事や旅行で短く立ち寄ったことがあり、そのたびにこの街の活気とエネルギーに強い印象を受けた。
いつか外国に住むならここと、いつしか勝手に決めていたのである。
大学院を受験して、2年でマスター(修士号)を取って……という人並みの道を選ぼうと思うと、これから順調にいっても3年近くかかってしまう。
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